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2022.01.07

ブルーベリーを使ったレシピ検討を始めます(妻が)/AKIPINエッセイ

AKIPINエッセイ

はじめまして。AKIPINと申します。
京都で教育機関職員として働きながら、妻のごはんを写真に撮ってInstagramなどに投稿して楽しんでいる、40歳の男です。
アオニサイファームのウェブサイト等で使われている写真やコピーライティングの面で、陰ながら支援させてもらっています。

そんなぼくの妻が、今後、アオニサイファーム「ブルーベリー観光農園」で提供されるブルーベリーを使った食べ物のレシピ検討に、参加することとなりました。
今後ウェブサイトで更新されていきますので、ご覧くださるとうれしいです。

さて、つくばのアオニサイファームと、京都のAKIPINとやらに、一体どういう関係があるのか。
ぼくと青木さんとの関係を少し紹介させてください。

妻がつないだ京都のブルーベリー農園での縁

青木さんとの出会いは4年前にさかのぼります。
ある日ぼくは仕事中に、妻から1本のLINEを受け取りました。

<摘み取りとか川遊びとか、ピザ食べたりもできるブルーベリー農園が、新しくできるんやってー。オープンしたら行ってみよ!>

小さな子ども(当時2歳)のいる家庭にとって、家族で半日ほど遊べるようなスポット情報は貴重です。
SNSか何かで情報を得た妻からの連絡に、ぼくは迷わず<おー絶対行こー!>と返信しました。

さて、「スポット情報は貴重」「絶対行こ」と言いつつ、こういうのは基本、忘れるものです。
忘れるのが基本です。

数カ月後。
「そういえば新しくブルーベリー農園できるから行こって言ってたよなぁ。もうオープンしてるやん。行こ!」
「ほんまやん、行こ!」
改めて心と車のエンジンをかけたぼくたちは、家族3人、そのブルーベリー農園を目指してに出かけていきました。

なぜか笑ってしまう温かい”ニイチャン”

そこでは、驚くほどたくさんのブルーベリーが栽培され、自由に摘み取っていろんな味を味見することができました。
種類の豊富さに驚くとともに、なんと言ってもものすごくジューシーでおいしくて、「すごいスポットができた!」と妻とぼくは喜びました。
そして、ブルーベリーと同じくらいぼくたち家族の心に「温かさ」として残ったのが、そこでぼくたちを出迎えてくれた”ニイチャン”でした。
スラッとしたそのニイチャンは小洒落たメガネをかけ、髪の毛を少しウェーブさせ、「農園」というジャンルに似つかわしくないような風貌で、ブルーベリーの摘み取り方や、近隣の川の場所などを、笑ってしまうほど親切かつ一生懸命に教えてくれました。

そう、その人にはなぜか「笑ってしまう」と言いたくなる、不思議な「温かさ」があったのです。
家に帰ってからも妻と、「ブルーベリー農園楽しかったなぁ。あのニイチャン、ええ人やったなぁ。また会いたいなぁ」と笑いました。

印象に残ったとは言え、それだけでは名前も知らない「スタッフと客」という関係でした。
そこから距離がぐっと近くなったきっかけは、当時農園が実施していた「Instagramフォトコンテスト」にぼくがたまたま応募し、グランプリをもらったことでした。
(今思えば参加者も多くない、小ぢんまりした素朴なイベントだったと思いますが、このグランプリはぼくが写真にハマっていく大きなきっかけの一つでした。)

後日。
グランプリの賞品としてのブルーベリーの苗を、”あのニイチャン”がわが家に届けに来てくれました。
“あのニイチャン”は、一緒に軽トラに乗ってきた”別ニイチャン”とともに、「あっちに置く?」「こっちにする?」「そっちにしよ!」「うわ、野菜いっぱい育ててはるなぁ」「こっちにもあるで」などと言いあいながら、ふたニイチャンでどえらい楽しそうに納品して軽トラで帰っていきました。
帰ったあと、後にはやっぱり「温かさ」が残っていて、妻とぼくはやっぱり笑いました。

“あのニイチャン”こそがそう、青木真矢さんです。

青木さんと京都で過ごした時間

帰ったあと、ぼくは青木さんにお礼のメッセージと、自分のInstagramを伝えました。
すると翌日。
ぼくのInstagramを見た青木さんが、<クリエイティブ能力がすばらしいです!!!>と異様にハイテンションな返信をくれたのです。
そして、本業は広告デザイナーであること、ブルーベリー農園には立ち上げから携わり、広報面を中心に担っていることなどを教えてくれました。
ぼくたちはまあまあ家も近いことがわかり、ごはんを食べにいって意気投合。
ぼくはブルーベリー農園の広報活動に、写真やコピーライティングの面でお手伝いすることになりました。

ぼくは2歳下ですが、広報や表現の面で違和感のあること、変えたほうがいいと思うことは遠慮なく率直に伝えました。
青木さんはどんな辛口の意見も「なるほど!」と受け止めてくれました。
青木家の皆さんは、うちの娘の幼稚園のお祭りに遊びに来てくれたり、妻が開いたピアノコンサートを観に来てくれたりして、ぼくたちの交流は深まっていきました。

その後ぼくが仕事で悩みに悩んでどん底に沈んでいたときには、青木さんはぼくのことを全面的に肯定して、優しく寄り添い続けてくれました。
ファミレスで落ち合ってうだうだと仕事の辛さを語り続けるぼくに、アドバイスするでもなく、ただ同情するでもなく、とにかくぼくの持っているものを誰よりも認めてくれました。
そんな青木さんがいなければ、ぼくは、それまで何年もかけて積み上げてきた人生を、どうにかしてしまっていたかもしれません。

後からわかったことですが、ぼくのしんどい話を延々と聴いてくれていた時期は、青木さんにとっては「第二の人生」を模索していた時期でした。
そう、奥さんの実家のあるつくばで、自分の農園を立ち上げることです。
青木さんはそんなにも重大な決断する日々の中で、自分の悩みをぼくにまったく見せず、ぼくのしんどい話を延々と聴いてくれていたのでした。
青木さんはぼくの盟友であり、人生の恩人です。

人の出会いとつながりを大切にする「らしさ」

その後、決断ののち青木さんは京都を発ち、つくばに行き、アオニサイファームを立ち上げました。
ぼくはぼくが持ち得るかぎりのアイデアと技術を振り絞って、ウェブサイトを中心とした広報表現に関わらせてもらっています。

「ブルーベリー観光農園」の開園に向けていま準備が進められていることは、ウェブサイトのあちこちで紹介されているとおりです。
そんな青木さんから先日ぼくに、相談がありました。
<観光農園では、ブルーベリーを使った食べ物も提供したい。どんな食べ物がいいか、AKIPINの奥さんも一緒に考えてもらえないか>と。

「青木さんらしいな」と思いました。
ぼくの妻は、”小さな自宅教室でピアノを教えている、ちょっと料理上手な奥さん”です。
以前にカフェでアルバイトしていたときにはお菓子作りをしていましたが、料理人でもパティシエでもありません。
そんな妻にアイデアを求めてくれる心は、人と人との出会いとつながりを人一倍大事にし、そこから未来を切り開いていこうとする、青木さんそのものだなと感じるのです。

レシピ検討にあたって

ぼくの妻は、商品になるような食べ物を考案したことはありませんが、普段の生活において「食」を大切に思っている人です。
食べ物を商品化するためにプロの知見はおそらく不可欠でしょうが、青木さんの「ブルーベリー観光農園」らしい素朴さを表現する一端として、妻が何らかアイデアを出せたらいいなと思います。

そのアイデアのメモ的なものが今後、このウェブサイトで掲載されていきます。
「ブルーベリー観光農園」の立ち上げに含まれる一つのストーリーとして、ちらりとご覧いただければ幸いです。

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ブルーベリーMENU検討メモ/SACHIKO→

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